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テレヴィ嫌いを考える [家族の思い出]

同居している(というか私、の寄生主の)老母だが、
家にいるときはほとんどいつでもテレヴィをつけっぱなしにしている。

朝のNHKの連ドラも見るし、みのもんた(今は療養中で代役が司会)の健康情報番組だか人生相談番組も見るし、(午後からどこかへ出かけて、夕方帰ってくると)、相撲を見て、やっぱりNHKの報道番組を見て、『ためして合点』とか『ご近所の力』とかを見て、21時から民放のサスペンスを見て、その後、奥の8畳間に引っ込んで布団に入ってからも、やっぱり小型テレヴィで寝付くまで何かしら見ているようだ。

テレヴィ嫌いの私には、うるさくてしょうがない。
私が自室で昼寝をしていても、リヴィングのテレヴィがついているとうるさくていらいらする。

テレヴィは役に立たないつまらない情報をとめどなく、
よどみなく、休むことなく、ためらうことなく垂れ流している。
好きで見聞きする人には快楽なのだろうが、いやいあや付き合わされる身にはこらえがたい。
タバコの受動喫煙と同じだ。
(そういえば父にはさんざん受動喫煙を強制されたものだ。
母にはこうして無理やりテレヴィの受動視聴を強いられている。
 つくづく私って、親から虐待されていて、かわいそうだなと思う。
  経済力があったら、早く逃げ出したいものだ)

母は午後ドトールでコーヒーを飲んでくることが多いらしいが、ドトールから帰ってくると、
タバコの臭いがコートからぷんぷん放たれている。
能動喫煙はしない母は、ドトールでは禁煙席に座っているらしいが、
ドトールの経営者はよっぽど無能もしくは無責任な人間であるらしく、
禁煙席と喫煙席が必要十分に遮断されていないのだ。
そんなドトールの禁煙席なんて、なんの意味もない無駄なものだと思うが(法律を網を潜り抜けるのに必要なのかな?)、神経が愚鈍にできているのか、母には気にならないらしい。
不思議だ。

テレヴィなんかで時間をつぶすなら、もっと面白い人生がいくらでもあるだろうにと思うが、
老人たちにとってはテレヴィは至上の娯楽なのだろう。
不思議だ。

テレヴィの無駄なおしゃべりを聞いていると、精神病院の入院患者を思い出す。
根拠不明の相互に関連のない情報をしゃべり続けるテレヴィは分裂病患者と呼ばれていた人たちに似ている。
無意味に大声でしゃべる元チャチャのカツマタとはつくづく躁病患者に似ている。
やたらに暴力やセックスが取り上げられるのもまともじゃない気がする。
つねにノイズ以外の何ものでもない音楽がかかりっぱなしなのも精神病院と一緒だ。

消費者をよっぽどバカだと思っているのか、バカの一つ覚えの商業広告にもうんざりだ。
CMを見るたび、宣伝なんかしなくても、
本当に欲しいものは徹夜で並んででも買いに行くのにといつも不思議に思う。
多額のお金をかけて宣伝しなきゃ売れないような商品って、ろくでもないものに決まってると思う。
たぶんみな私の気のせいだろうけど。

BGMも特になく、暴力もセックスもなし、登場人物が小声でぼそぼそしゃべる放送大学なんか、わりと精神病院ぽくなくて落ち着くのだが、残念ながらそんな番組はうちの母は嫌いだ。

こんな精神病院みたいな不愉快な家に寄生して生きていくには耳栓が必需品だ。
テレヴィの画はどうでもいいのだ。
横を向けばもう私の目には映らないのだから。
問題は音だ。
これがうるさくて神経に障る。
特に母は老人だから、だいぶ耳が遠くて、テレヴィも近所から苦情がくるぎりぎりの大音量だ。

テレヴィはくだらないと思うが、見る見ないは個人の自由で好きにしていいと思う。
しかし他人に迷惑はかけないで欲しい。
つまりテレヴィファンは、大草原の一軒家か、防音室以外の場所では、
ヘッドフォンかイヤフォンを使って視聴を愉しんでもらいたいと思う。
今時、愛煙家ですら、嫌煙家の迷惑にならないよう、スモーキングエリアを気にする人もいるくらいなのだから、テレヴィファンも少しは遠慮というものを知るべきだろうと思われる。

私はもちろんラジオも大嫌いだ。
ラジオは、うちの母も含めて大多数から、もうすでに無視されているので、実害はないメディアだ。

でもテレヴィはまだ影響力が大きく、視聴者も少なくなく、その存在は迷惑だ。
見なくても金だけは盗りたてる悪質なNHKだけは、とりあえず早急に解散していただきたい。



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