ひざ掛け [エコロジー]
私はコタツが嫌いである。
床に直に座るというのになぜか嫌悪感がある。
タタミももちろん苦手である。
普段は椅子に腰掛け、
リラックスするときにはソファにもたれるのが当たり前なってしまって、もう長いことが経つ。
しかし日本の冬は寒い。
コタツは日本の冬に適した暖房形態だとは思う。
うちの猫たちもコタツは好きだ。
でも私は頑固にコタツには入らない。
人間とは猫は違うところもあるのである。
遺伝子的に言っても、猫と人間とでは、チンパンジーと人間以上に違うのではなかろうか。
私も常々猫になりたいと思うが、やはり猫のマネはできかねる部分が少なからずある。
というわけで冬でも椅子に腰掛けるだが、エアコンを運転しても、足元は寒い。
というか、暖かい空気は上のほうにあがってしまうらしく、腰から下が異常に冷える。
しょせん東京の家なので、本当に寒い国や地域や地方の家のように、
本格的に防寒に対応した造りになっていないのでははないかと邪推する。
だからひざ掛けは必需品だ。
昨日図書館で5時間くらい本を読んでいたのだが、寒くて仕方なかった。
やはり特に腰から下が。
パチンコ屋ではひざ掛けを貸し出してくれるサーヴィスをしている。
(全てのパチンコ屋がそうなのかどうかは知らないが)
ひざ掛けがあるだけで、ずいぶん寒さに耐えやすくなる。
暖房の省エネのためにも図書館でもひざ掛けを貸してくれるといいのになと思う。
「マイバッグ」以上に、ひざ掛けはがさばるので、
持ち歩くのは厳しいので是非、施設で貸して欲しい。
でも金儲けのために営業している施設にはクレームをつけやすいのだが、
非営利の公務員には、なんとなく要求を突きつけにくい。
本来なら、納税者の我々としては、
公務員にこそクレームをつけやくてしかるべきなのに、現実は逆っぽい。
公務員は怖い共産主義者orズバリ権力者で、公務員に文句を言うと巨大な組織(怖い共産主義者の組合orズバリ権力機構)に目をつけられて、有形無形のイヤガラセや差別や迫害を受けそうなので、なんとなく私は黙っている。
そのフラストレーションが悪質な民間企業に向かう傾向があるようである。
巨大にして非情な権力機構に比べれば、大企業・大資本家といえども、若干弱そうに感じられる。
私は個人的に労働者運動や人権闘争に関心が強いのだが、
集団的共産主義者は怖くて苦手である。
人間、目的のいかんを問わず、群れると怖いことを平気でするようになるで性に合わない。
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