最後の万引き [犯罪・非行]
大岡山のレコード屋でCDを2枚盗んだのが最後となりました。
カバンにこっそりCDをしのびこませ、店を出ようとしたところで、店長さんに怒鳴られました。
「おい、ちょっと待て」とかなんとか。
私は怖くなって、全速で走って逃げ出しました。
いろんな意味で私の行動は間違っていました。
自分のカバンにセルフ・サーヴィスの店の商品をしのびこませただけでは、窃盗にはならないのですね。
店長さんに怒鳴られた時点で、素直に(反省して)謝って、商品を返せば、私は窃盗犯にならずに済んでいたのです。
そんな法律知識のない愚かな私は、走りに走って逃げました。
ずいぶん走りましたね。
追いかけてきた店長さんにベルトをつかまれるまで、どれくらい走った(店長さんを走らせた)ことでしょう。
胡乱な知識で恐縮ですが、なんでも法律によれば、人を逮捕できるのは警察官に限られているそうですね。
民間人が他者を逮捕できる、唯一の例外は現行犯の逮捕だけだとか。
それも犯罪現場から一定の距離範囲内のみと定められているのですね。
私たちはずいぶん走りました。
ひょっとすると、店長さんが私を逮捕したのは違法行為にあたっていたかもしれませんね。
でも、そんなことはどうでもいいことです。
仮に店長さんが私を現行犯逮捕できなかったとしても、確実に後日、本物の警官に逮捕されていたでしょうから。
もっとも、度胸のないみみっちい私ですから、警察に捕まる前に、自首していたと思いますが。
おかげさまで警察にお世話になったのは、それが最初で最後となっています。
で、店長さんから交番に突き出され、事情聴取と所持品検査をされました。
生年月日を訊かれて正直に事実を答えると、警察官は驚きました。
私は当時、かなり強い向精神薬を服用していて、意識がいいかげんになっていて、
全然、気づいていなかったのですが、その犯行当日は私の20歳の誕生日だったのです。
よく覚えていませんが、軽い身体検査もされたと思います。
記憶にないところをみると、身体検査はなかったかもしれません。
私が盗んだのはCDが2枚で、被害総額は6,000円といったところです。
被害額が小額だと、警察官に口答で注意されるだけで放免されることもあるそうですが、
被害額が5,000円を超えると、書類送検の対象になるようなことを警官は言っていました。
いずれにせよ、交番ではたいした取調べはできないので、パトカーに乗せられて碑文谷警察署に連行されました。
手錠はかけられませんでした(ご配慮ありがとうございます)。
碑文谷警察署での取調べですが、あまり記憶にありません。
そもそも現行犯なので、基本的に釈明することも何もないのです。
ただ形式的な供述書類を作られて、指紋をとられて、そして釈放されました。
代用監獄に入れられることもありませんでしたし、保釈金も必要ありませんでした。
その警察署から書類送検されたようです。
のちに起訴猶予処分になったと、警察からか検察からか、どちらかから連絡がありました。
交番での所持品検査にはちょっと問題がありました。
その大岡山のレコード屋に寄る前に、実は、
私は自由が丘のレコード屋でも窃盗をはたらいていたのでした。
自由が丘のレコード屋でもCDを2枚盗みました。
その2枚はカバンの中に入れたままになっていました。
大岡山の交番の警察官はカバンの中を調べたのですが、
中にむき出しの盗品のCDがあることには気がつきませんでした。
ともかく、交番で一回所持品検査を済ませているので、
碑文谷警察署では所持品検査をしませんでした。
もしも自由が丘でも窃盗をはたらいていたことを警察が知ったら、
私が万引き常習者だったと疑って、
余罪を追及するもっと厳しい取調べになったのではないでしょうか。
当時は警察も含めて、社会全体が万引きには寛容だったようです。
今でこそ、「万引きは立派な窃盗だ」なんていう啓発のポスターを見かけるようになりましたが、
その碑文谷の警察官も、こんなつまらん事件はさっさと片付けたいという感じで、
取り調べもおざなりなものだったようです。
そういった、社会や警察の事情は別として、、、
惜しむらくには、そんな事態になっても、私はあまり反省しなかったことです。
交番や警察署では、
威圧的に感じる警察官から「お前は悪いやつだ。反省しろ」
といったプレッシャーを受けていたので、
(エゴが健全に発達していなくて、自主性のない私は)、
素直に反省したように振舞っていましたが、
そのとき、実際にはちっとも悪いことをしたという意識はありませんでした。
当時、唯一生きている実感を感じられる万引き行為を妨害されたショックと悲しさがあるだけでした。
その「事件」の翌日か翌々日、さっそくまた万引きに出かけました。
秋葉原の石丸電気のレコードセンターです。
私は学習能力ないわけではないので、たいへん慎重になりました。
しかし石丸電気のセキュリティはかたく、あきらめました。
私はもう完全犯罪以外犯す気が失せていたのです。
窃盗で完全犯罪は無理だと結論に至りました。
そもそも完全犯罪というのは、捜査ミスや警察の無能さゆえに発生するもので、周到に計画とたてて狙っても、100パーセントの確率で達成できるものではないと考えています。
完全犯罪は偶然の産物です。
警察に捕まるのがイヤだったら、大儀があろうとなかろうと、法を犯さないのが一番だと思いました。
その考えは15年経った今も微塵も揺るいでいません。
おせっかいはしませんが、友人・知人で、私の影響を及ぼせる相手に対しては、法を遵守するよう推奨しています。
悪法もまた悪法と思い、不合理な法でも従います。
法治国家の一員として、法が悪を要求するなら、悪に加担しなければなりません。
できるだけ民主的プロセスを踏んで、良い法律を創っていきたいものです。
法を侵すときにはよっぽどの覚悟を持つべきです。
法を侵すとは体制に対する反逆です。
国家を転覆させる覚悟のない者に法を破る権利はないと思います。
私の経験から思うに、警察官を含め役人には無能者が多いと思います。
また同時に、彼らの中には公務員でありながら、法の要求する職務に忠実でない「犯罪者」が多いと思います。
政治家を含めた公務員の堕落と腐敗こそが、犯罪の蔓延の温床になっているように感じられます。
新雪のように真っ白な人間でないと、他人の薄汚れを非難するのは難しいものです。
私は農耕文化よりも狩猟文化の影響を受けている人間のようです。
生産労働は苦手です。
こういう人間は犯罪(窃盗、強盗など)に手をそめやすい傾向があるので要注意です。
なによりそういう性質を持った本人が注意しなくてはなりません(権力者による拘束を受けないため、独占資本たちによる不当な糾弾を避けるため)。
そういった近・現代社会に適応しにくい性質を変えていくという手もあると思い、専門家に相談していますが、生まれ持った性質を改変していくのは基本的に無理なようです。
かえって不適切な抑圧を加えると、よりゆがんだ行動に走ってしまうのではないでしょうか。
社会は犯罪者を抑圧するだけではなく、犯罪者・触法者の心理をよく研究して理解する必要があります。
単純に貧困や怨恨だけが犯罪の動機だと考えているようでは、この社会は救われません。
唯一の解決策は偏見を捨てて、真実を発見し理解することです。
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