死刑制度 [人文科学(主に小説)]
読みかけのままどっかに行ってしまっていた本が出てきたので、続きを読んだ。
特にストーリーもプロットもなく、ただ死刑囚の日々、特に死刑執行される当日のことを死刑囚の視点からつづり、あわせてその死刑囚の心境が綴られているだけの変わった短編小説である。
さすがにうまいなと思ったのは、娘との再開や、ふてぶてしい受刑者とのやりとりなどでドラマ的なふくらみをもたせて、読者を飽きさせないようになっている。
序文が小説が終わったあとに載っている倒序形式がユニークだ。
その「序」によると、なんでもこの短編はもともと死刑制度の廃止を訴えるために書かれたプロテスタント小説なんだそうだ。
翻訳の文庫にして本編が130ページくらいなのに対して、死刑制度反対をこんこんと訴える「序」に30ページもさかれている。
フランス文学なのでエスプリの効いた文章で締めくくっている。
フランスから神々は去った、国王らも去った、今度は死刑執行人らが去る番だと。
死刑執行人はスペインかロシアにも行ってくれと言っている(フランス人らしい発想だ)。
我々アジア人と違って、西欧先進国の人間はけっこう死刑制度に対して抵抗が強いらしい。
人間の生命は、人間が作ったものではなくて、神が与えたものだから、人間が勝手に人間の生命を奪ってはいけないというキリスト教精神からかな。
今では西欧先進国では死刑制度が廃止になっている国が少なくないが、この作者の告発は1832年のことだから、当時としてはかなり進歩的な思想だ。
この作者はまたどうせ死刑を執行するなら、公開処刑にするべきだと考えているようだ。
日本では今でも死刑が盛んに執行されているが、非公開処刑だ。
ユーゴーによれば、これはたいへん卑怯なことになるようだ。
死刑とは言え、殺人にはかわりないので、それをこそこそと密室で行うのは卑怯極まりないことになるらしい。
社会が悪人を殺すなら殺すで、その社会の構成員は、殺される人間の断末魔の苦しみを見る義務があると考えているようだ。
悪人を屠殺場に送るだけ送って、実際の殺人現場をちゃんと見届けない役人や市民は無責任だということになるらしい。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を思い出した。
この映画ではヒロインのビョークちゃんが無実の罪で死刑に処せられるだけれど、ちゃんと公開処刑だった(舞台はたしかアメリカのどこかだったと思う)。
被害者の遺族らが(冤罪の)ビョークがぶらんと吊るされる一部始終を見て、復讐心を晴らすのであった。
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